2009年12月24日
雲岩長老
雲岩の歌
「永らえてをれば亦行逢もすらえ もしかさきだたば花のうてな」
音楽の宗湛水親方が具志川間切田場村に蟄居せられて、親友の円覚寺の雲岩和尚は
湛水親方の安否を気遣って、わざわざ具志川田場まで訪問されました。
その別れ際に雲岩が詠んだ歌であります。
時は下って1964年(昭和39年)9月、コザ市にある湛水流保存会長中村宗繁、師範
蔵本茂雄等が計画して湛水親方顕彰碑が建立されました。
碑の除幕式に参列して感じたことは、音楽家で柔らかい人(湛水親方)は今固い石となって
立っている。
その友雲岩和尚は哲学者の固い人であった。
よし、雲岩和尚の歌に作曲して、今度は柔らかい音楽にして、また二人を逢わしてやろうと
発想して、帰宅後、早速、歌詞の考証の後、作曲して、沖縄タイムス社主催第11回芸術祭
(1964年)に応募したのであります。
それが奨励賞を受賞する栄を賜りました。
(後記略)
宮城嗣周著「嗣周・歌まくら」より
雲岩の歌 作詞/雲岩長老 作曲/宮城嗣周
歌・三線/琉球古典音楽野村流松村統絃会
琉球古典音楽湛水流保存会 湛水流伝統保存会
琉球箏曲保存会宮城嗣周門下生 仲田治巳研究所 又吉真也研究所
(琉球古典音楽野村流松村統絃会工工四中巻)
むかし首里の円覚寺(俗名ウフウティラ)の長老に雲岩長老という名僧がいました。
この老僧は、中国や日本の名僧たちとも手紙のやり取りをして交わっていました。
ある夏の昼下がりのことです。
庫裏の縁側でウトウトと昼寝をしていた雲岩長老は、ふと目覚めて、大声をあげて
人々を呼び集めました。
「本堂が火事だ-!!水をかけろ-!!」
人々は長老の命令で、本堂の屋根に上がってみたものの、どこにも火の手らしい
ものはありません。
人々は長老が夢を見たのだろうと、ブツブツ言いながらも、それでも水を運び、屋根
に水をかけました。
しばらくして、「やっと火事は消えました。ご一同ご苦労様でした・・・。」と長老は礼
を述べました。
人々は長老は耄碌していると、うわさし合いました。
しかし、翌年に中国から使者が来ました。
「昨年、当寺が火事の際は沖縄から加勢がきたお陰で助かりました」とのお礼の
使者でした。
中国のウフウティラにも雲岩長老の火事働き見ていた長老がいたのです。
互い神通力のある長老たちの逸話として、老人たちのよく語る話でありました。
宮城嗣周著「嗣周・歌まくら」より
「永らえてをれば亦行逢もすらえ もしかさきだたば花のうてな」
音楽の宗湛水親方が具志川間切田場村に蟄居せられて、親友の円覚寺の雲岩和尚は
湛水親方の安否を気遣って、わざわざ具志川田場まで訪問されました。
その別れ際に雲岩が詠んだ歌であります。
時は下って1964年(昭和39年)9月、コザ市にある湛水流保存会長中村宗繁、師範
蔵本茂雄等が計画して湛水親方顕彰碑が建立されました。
碑の除幕式に参列して感じたことは、音楽家で柔らかい人(湛水親方)は今固い石となって
立っている。
その友雲岩和尚は哲学者の固い人であった。
よし、雲岩和尚の歌に作曲して、今度は柔らかい音楽にして、また二人を逢わしてやろうと
発想して、帰宅後、早速、歌詞の考証の後、作曲して、沖縄タイムス社主催第11回芸術祭
(1964年)に応募したのであります。
それが奨励賞を受賞する栄を賜りました。
(後記略)
宮城嗣周著「嗣周・歌まくら」より
雲岩の歌 作詞/雲岩長老 作曲/宮城嗣周
歌・三線/琉球古典音楽野村流松村統絃会
琉球古典音楽湛水流保存会 湛水流伝統保存会
琉球箏曲保存会宮城嗣周門下生 仲田治巳研究所 又吉真也研究所
(琉球古典音楽野村流松村統絃会工工四中巻)
むかし首里の円覚寺(俗名ウフウティラ)の長老に雲岩長老という名僧がいました。
この老僧は、中国や日本の名僧たちとも手紙のやり取りをして交わっていました。
ある夏の昼下がりのことです。
庫裏の縁側でウトウトと昼寝をしていた雲岩長老は、ふと目覚めて、大声をあげて
人々を呼び集めました。
「本堂が火事だ-!!水をかけろ-!!」
人々は長老の命令で、本堂の屋根に上がってみたものの、どこにも火の手らしい
ものはありません。
人々は長老が夢を見たのだろうと、ブツブツ言いながらも、それでも水を運び、屋根
に水をかけました。
しばらくして、「やっと火事は消えました。ご一同ご苦労様でした・・・。」と長老は礼
を述べました。
人々は長老は耄碌していると、うわさし合いました。
しかし、翌年に中国から使者が来ました。
「昨年、当寺が火事の際は沖縄から加勢がきたお陰で助かりました」とのお礼の
使者でした。
中国のウフウティラにも雲岩長老の火事働き見ていた長老がいたのです。
互い神通力のある長老たちの逸話として、老人たちのよく語る話でありました。
宮城嗣周著「嗣周・歌まくら」より
Posted by 華氏 at 18:39│Comments(0)
│嗣周・歌まくら