2009年12月16日

金武良仁(安冨祖流大家)

金武良仁(安冨祖流大家)

 父嗣長と交際のあった方々といっても、父が出かけて行って交際することは七十代からはなく
ただ訪問を受けた方ということになります。

 その方々の中でも圧巻は、安冨祖流の大家、金武良仁先生です。

 金武先生は王族出身の方ですので、与那原在の玉城御殿に度々お出になりました。

 その時は、お相判役として御殿よりお呼びがありました。

 私は、お給仕役として父の伴して上がりました。

 御殿の三線で安冨祖流と野村流の老大家の合奏を拝聴したのは、おそらく私一人で
しょう。

 歌も三線も一人でなさるように合わされていました。

 当時の方々は、お互いに歌い合わせて弾いたもので、楽しみも自然に湧き出ていまし
たが、今は同じ流儀でも倶楽部が違えば歌声が合わなくなり、従って拍子も合わなくな
り、楽しみもなくなりました。

 せめて同流だけでも合わすということを心掛けるべきであります。

 合わす方法は自分を控えめにして相手を立てることです。

 相手の歌に合わせ、相手の拍子に合わせれば、合わない筈がないのです。

 金武先生は乗馬も名人で、田舎人たちとお付き合いがありました。

 鉄砲を射ちにお出でになる時は、知り合いの馬を出させて、知念、玉城、東風平の森
々を逍遥なされて山鳩を射ち落とされるほどのお腕前でありました。

 御用が済めば、獲物を二、三羽鞍に結んでやり、「トーケーレーヤー」と戻り道へ向け
てお帰しなれば、馬も馴れたものでひとりで家へ帰って行くとの話で、大平の時代の
天真爛漫な話でありました。

 旧藩時代も昔々のこととなり、明治から時代は大正の中頃になっても金武先生への
尊敬の念は庶民にとっては、まだ金武御殿の按司加那志と思われて、御声がかかる
ことは無上の光栄と誇りにしていた純朴な話です。




                                 宮城嗣周著「嗣周歌まくら」より



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