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Posted by TI-DA at

2011年11月17日

地謡研修部会 志情プレゼント企画 巻Ⅱ

こんにちわ

約1年余りのアップです。。。

当会のブログで、歌・画像等の掲載が
出来なくなりました事をお詫び申し上げます。

めげずに、画像掲載サイトにて
歌・画像等を掲載してまいりますので
当会を検索していただき、
引き続き、ご支援宜しくお願い申し上げます。

今日は、公演の案内です。

来年、2012年2月26日(日)に
新潟県魚沼市にて
当会、地謡研修部会の公演を行います。

東北の皆さんに、
元気を与える事が出来れば幸いです。




























  


Posted by 華氏 at 13:08Comments(0)公演案内

2010年08月13日

本日の沖縄タイムス!!

 旧盆をひかえ、各地でエイサーの太鼓の音や三線の音色が聞こえてきますが、青年会、
地謡の皆さんにとって忙しい時期です!!

 8月は沖縄県内各地で、いろいろなイベントが行われ、どこに行こうか、迷うくらいです。

 そのイベントの中でも、今日の沖縄タイムス芸能欄で掲載されておりました
首里にありますライブ空間「てんてん」さんが、今月20日(金)に100回記念ライブを
行うそうです!!

 記念する100回目のライブには、「てんてん」オーナーであります山内秀吉先生からの
ご依頼で当会名誉会長の宮城嗣幸先生が、当会家元の宮城嗣周先生の創作曲を
演奏します!!

 ライブ空間てんてん100回記念ライブは、8月20日(金)です!!

 H22.8.13(金)沖縄タイムス


(↓拡大クリック↓)


ライブ空間てんてんさんの詳細はこちら→ (クリック→) フラワー&カフェ ライブ空間てんてんブログ

 与那原天川節/宮城嗣周創作 歌・三線 宮城嗣幸
  


Posted by 華氏 at 13:11Comments(2)沖縄タイムス

2010年08月11日

2010年沖縄タイムス芸術選賞公演

 5月22日(土)、24日(日)、2010年沖縄タイムス芸術選賞公演
「ほこらしゃや華ごころ」が国立劇場おきなわにて行われました!!

 琉球古典音楽・古典舞踊部門の大賞、奨励賞受賞者による公演です。

 重要無形文化財保持者をはじめ、歴代受賞者ら錚錚たる面々による
舞台でした!!

 幕開けは、沖縄タイムス芸術選賞にて大賞受賞者による稲まづん節・早作田節
の斉唱でした!!


 稲まづん節
 「今年毛作いや あん美らさゆかて 倉に積ん余ち 真積んしゃびら」

 早作田節
 「銀白なかい 緒黄金軸立てぃてぃ 試みし摺り増しゅる 雪ぬ真米」


 続いて。。。秘伝仲風、当会と保存会の皆さんで斉唱でした!!


 秘伝仲風(ハヤリ手仲風)
 「語りたや 語りたや 月の山の端に かかるまでも」


 続いて。。。当会、宮城竹茂師範の作曲で、作舞は新崎恵子先生が創作した
創作舞踊「御祝御座」です!!


 【御祝御座(平成16年作舞)】
 「今日のかりゆし御座は、心晴れ晴れと豊かに舞い、御万人が揃って子孫繁盛で
ありますように神々に祈願たてましょう。

 扇子の技法をふんだんに使ってダイミックな振りで表現し入羽の“はやし”も力強く
入れて作舞した祝儀舞踊です!!」

 〇 御座出

 〇 瀧落菅攪

 〇 踊り口説
   1、月に添えたる 獅子加那志 映る姿の 誇らしやや
   2、頭振り上げ 清らシマの 栄願とて 厄払い
   3、衆人万人 手よ取やり 共に世果報の 太陽かめて
   4、子孫揃とて 願叶て 仰ぎ崇める 獅子加那志
     イヤイヤ 此の島御神や 獅子加那志 ニライカナイに 天地神々
     諸々神々揃て島譲り 子孫繁昌 家内繁昌 面白物さめ サーァサ
     イヤイヤ 今日の御祝座 めでたしめでたし
     酒も飲め飲め 盃廻らち 心晴々
     語て遊ばな 踊て遊ばな やてる人間 面白さめ あらにやみ
     やさ サーァサ サーァサ ハイヤ
     御祝重ねる 此の島や 恵豊な 果報な島 果報な島


 歴代受賞者による「技」と「心」の華やかな舞台でした!!  


Posted by 華氏 at 12:30Comments(0)公演

2010年08月08日

平成22年度定期総会

 先週の8月1日、当会の定期総会を行いました!!

 2009年度収支決算報告や本年度予算!! 事業報告、事業計画!!

 実質的に2010年度の事業活動開始です。 



 定期総会の後は、演奏会です。

 出席した会員全員での斉唱や先日行われました沖縄タイムス社主催の
伝統芸能選考会で入選した方たちの演奏、先生方の独唱も行われました。











 演奏会途中、昼食を取りながら、久しぶりにお会いした会員の方々と
しばし、ご歓談!!今回のお弁当です!!



 伝統芸能選考会入選した方々への花束贈呈と自己紹介を兼ねた挨拶!!
 皆さん、ご入選おめでとうございます!!







定期総会、演奏会も無事終えました。本年度も頑張ってまいりましょう!!  


Posted by 華氏 at 08:48Comments(0)年間行事

2010年07月23日

豊年祭

 夏休みに入り、本格的な夏の行楽シーズンに突入しました。

 連日、暑い日が続いておりますが、県内各地では様々なイベントや行事が
行われています。

 その中でも宮古、八重山などでは伝統行事でもある豊年祭が、観光客に人気を
呼んでいるそうです!!

 豊年祭とは、その文字からも想像できるように、豊作、五穀豊穣を感謝し祈願する
お祭りで地域によって、その日どりや様式は異なるものの、旧暦の6月から8月に
かけて盛んに行われています。

 場所によっては撮影、描写、録音など一切禁じられているほど神聖なものもあるそうです。

 私の地元、南城市佐敷津波古でも豊年祭は、毎年、行われていますが、伝承されている
“村芝居”がありますので、ここで紹介させていただきます。


 天人(あまんちゅー)/南城市佐敷津波古天人保存会)

 首里王府時代から伝承されている「天人」は畑仕事をしていた村の長老と孫の前に
天地創造の神(天人)が現れ、五穀の種子を授けて、その育て方を教えるというという内容です。

 天人は二人で演じ、一人がもう一人の肩の上に立って3メートルの巨人を演じます。


津波古村遊びより(南城市佐敷津波古)



 「天人」は、平成20年2月24日に東京渋谷区NHKホールで行われました
第8回地域伝統芸能まつりに出演しております!!  


Posted by 華氏 at 09:36Comments(0)琉球の行事

2010年07月20日

首里城公園「舞への誘い/シュンダウ節」

 先日、首里城公園「舞への誘い」にて当会が地謡を担当しました!!


 舞踊家の方々は島袋流千尋会の皆さんです!!


 天気も不安定な中、3ステージを行いました。









 シヨンダウ踊


 二人の美女(チュラカーギー)は優美な踊りをし、二人の醜女(ヤナカーギー)は、
美女の踊りのまねをしておどけた振りをして面白い取り合わせであります。

 髪の形、衣装、容貌、身のこなしなどと、あまりにも美と醜の極端を対比させて、
女性美に目を奪い、また一方これも女かと思うほどヤナカーギーを出して、
作者玉城朝薫の女性を見る眼を舞踊に仕立てたような意味深長なるものが
あります。

 しょんだう節の一番の下句は謝敷節の歌詞にそっくり同じです。
 二番の下句のみくち吸はなはキッスのことです。

 それかんの一番の油を買ってください、簪も買ってくださいとは、誰にねだった
ものかといえば、今の男にねだっている言葉です。

 そして、元の夫、つまり捨てられた男の前に行って、この綺麗になった姿を
見せつけてやりましょう、という心なのです。まだ、心がかかっていますね。

 二番のあだんのとげでも御衣をひっかけます。
  ましてや元の夫となれば手を取って引き寄せるくらいはするものですよ。
  焼けぼっくりは燃えやすいものですよ。

 (中略)

 さて、このしょんだう踊のことを御後壇踊と踊り師匠方は呼んでいます。

 それは、昔、御冠船踊の時、観覧席の唐の按司が舞台に飽きてアクビを
されたそうです。

 それを見た玉城朝薫は、これは大変だ、主賓客に飽きられては、この演芸は
失敗だと思って、急いで舞台裏に屯ろしている脇役たちを配役して即興的に
しょんだう踊を創作しました。

 舞台最後の幕切れの時、番外として出したのが後段の踊りという意味で
御後段踊と呼ばれるようになったものです。

 なお、この踊り、ヤナカーギーがチビフイフイをして踊るのを見て、唐の按司は
扇で顔を隠してニィッと笑ったそうです。

 そのあとは公式の演芸会には、この踊りが必ず後段に演ぜられるようになり
大うけをしています。


                                           宮城嗣周著「嗣周うたまくら」より


 首里城公園「舞への誘い」、次回、当会の担当は12月5日(日)です。 稽古。。。稽古。。。
  


Posted by 華氏 at 10:00Comments(0)琉球舞踊

2010年07月14日

宮城嗣周「日々好日」の記

 平成2年10月25日 「宮城嗣周逝く」の報。

 私の口をついて出た言葉は「しまった!」であった。

 誠に不謹慎。

 昭和29年、琉球放送創立以来のラジオ番組「ふるさとの古典」の解説を
義兄与那覇政牛氏の後を継いで担当した嗣周氏。

 若輩の私を聞き役に指名して下さった。毎週1回60分。

 その歳月は21年に及んだ。

 「頑固そうなオヤジだな」

 初対面の印象がこれであった。が、嗣周氏は開口一番
 「キミが上原直彦クンかね。那覇市垣花、昭和13年寅年生まれそうだね。
ワシは大正3年生、同じ寅年だ。うまくいくよ、よろしく頼む」ときた。

 安心した。

 訥々とした話しぶりの中に、しみじみとした人間味と学識を感じたからである。

 こうなると私は厚かましい。

 収録のためスタジオ入りする日を待てず、古波蔵のお宅に押し入りように
お邪魔しては、多くのことを耳学問させていただいた。

 人間の(慣れ)とは恐ろしいもので「オヤジは私にとって生き字引き、携帯不要の
沖縄学辞典みたいなもの、何時でも逢える。引ける。いやはや重宝だわい」

 この厚かましさ、慇懃無礼さは日を追って増長。

 あの事この事、知らない事柄は「オヤジに聞けばよい」となれなれしく思うように
なっていく。

 ところがどうだ。(孝行したい時には親は無し)

 オヤジ亡き後(あの事この事)は、誰に聞けばよいのだ。

 誰に教え乞うたらよいのか。

 「しまった!」とは、「存命中にもっと多くのことを教えていただくのだった」
(しまった!)なのである。

 温故知新、長幼の美徳。嗣周氏は死してなお、このことを私に教授下さった。

 松村統絃会結成90年(2010年現在、101年)。その歴史や業績については
直系の方々が詳しく記録する。

 私はただただ嗣周氏と過ごした(日々好日)を親しさにまかせて綴るのみ。

 戯画的であるが、その中から(識者、学者)ではなく(人間宮城嗣周)を
感じ取って欲しい。

 そのことを願うのみ・・・・・・。                       (つづく)


                                 放送パーソナリティー 上原直彦
                                 『宮城嗣周「日々好日」の記』より

  


Posted by 華氏 at 08:33Comments(0)先師

2010年07月13日

舞いへの誘い

 毎週のように首里城下之御庭で行われています「舞への誘い」で
当会も来る7月18日(日)に担当します。

 演目も6演目の午前11時、14時、16時の3ステージです!!

 出演する舞踊家の方々は、島袋流千尋会の皆さんです!!

 暑い日が続いておりますが、頑張ってまいりましょー!!



首里城舞への誘い詳細HP  


Posted by 華氏 at 00:30Comments(0)稽古日

2010年07月08日

金武節

「こばや金武こばに 竹や安冨祖竹 やねや瀬良垣に 張りや恩納」

 金武から出発したら、まず目につくものは安冨祖岳です。

 少し行くと瀬良垣の部落につきます。恩納までは今一走りです。

 昔、首里人はなかなか旅にでることは無いので、この歌のように
進行方向の村々を歌いこんだ歌は好まれたようです。

 この平和な時代のノンビリした風景も、今は県道104号線となり
県道越えで恩納岳を砲撃する場所となり、歌心を探りに訪れようと思っても
大砲一パツくらうとフットンでしましますからね。アブナイアブナイ。

                   宮城嗣周著「嗣周歌まくら」より



金武節(歌意)
その1、クバは金武で取り、竹は安冨祖で取り、そして瀬良垣では竹を細かく
    削り、最後に恩納でクバ笠を作り終えた。

その2、久志方面から中頭方面へ行く落武士が金武に来て、部下の者に、此処は
    どこかと尋ねたら、部下は、ここは金武であります。
    向こうに見える嶽が安冨祖嶽であり、屋根の見える所が瀬良垣部落で、
    一走り走ると恩納であります。  


Posted by 華氏 at 10:59Comments(0)上巻

2010年07月07日

沖縄新進芸能家協会定期公演

先日、行われました沖縄新進芸能家協会定期公演に出演しました!!

日頃の稽古の成果を発表できる機会です!!



高平良万歳

口説(歌意)
1、親の仇をうとうとして、万歳姿に変身して、棒と杖とに太刀を仕込んで
2、編笠で深く顔を隠して、人目をのがれて家を出発し、村々や里里を越えて来て
3、平良は忍んで来る敵の隠れ家なので、我々兄弟は後ろを見るように
  横目で後ろの道に巡って入った。
4、末吉の社だんに祈る心は、我が敵に早く巡り合わせて下さいと
5、社だんに登ってお願いをした後で、南の方を眺めると、何と景色のすばらしいことよ
6、慶伊(チイービシ)と慶良間の海洋を見ると漁師の釣り舟が連なるように浮いて
  沖の鴎と間違えるばかりである。
  それからずっと下って来て、お寺の門に立ち寄って、休む二人の姿は大望を持った者
  である事をだれも知らない

万歳かふす節(歌意)
1、万歳講者は、やんざい講者は、二月の穂祭りは天より下りて来た
  何の日取りか、良い日取り
2、米は重いが、石は軽いよ、天より下りて来た布織りの上手の綾織り男が
  錦の金襴に唐荢の金襴を着て
3、男の長者、荷馬の長者が、荷負い祝って、やんざやんざと、馬に乗って通ると
4、一段とほめられた、今日も明日もお祝い事であるよ。

うふんしゃり節「大阿母志良礼節(オホアモシラレ節)」(歌意)
1、隣の耳の切れた、びっこを引いた猫が、目のはげた、首の白い鼠に
  首筋を噛まれて、叫び、叫んで
2、飛び上がって、考え込むのは、里主一人ですよ、里主の言葉づかいの良さは
  何にたとえることができようか。あやうくだまされる所だった。

さいんそる節「センスル節」(歌意)
1、京の小太郎が作った、尻の抜け破れたザルに、緒を付けて、板切れに穴をぬき
  通して、馬のように乗って来た。
2、みいふわふわと、ちゃうんちゃうんと舌打ちをして、行脚講者は馬舞いをする
  奴だ、獅子舞わしだ
3、こんなものをお目に掛けてしまった、おかしさだけである、さあさあ
  ちやうんちやうん、やあ、ちやうんちやうん。

次回11月の公演に向けて、頑張ってまいりましょー!!  


Posted by 華氏 at 10:20Comments(0)公演

2010年07月06日

男性舞踊家「飛輪の会」

 男性舞踊家「飛輪の会」は、沖縄タイムス社が国立組踊劇場(仮称、当時)の
平成16年1月の開場に向け、男性舞踊家の育成と質的向上を願って、平成11
年5月に実施された企画公演「男性舞踊家による美の競演・飛輪の舞」の反響が
契機となって誕生しました。

 「飛輪の会」は平成13年1月に沖縄タイムス芸術選賞の「大賞」、「奨励賞」
「グランプリ」を受賞した第一線の実演家から最高賞、優秀賞、新人賞を受賞した
若手までを会員に組織された男性舞踊家の会です。

 今年で設立10周年を迎えました。

四つ竹/飛輪の舞より
  


Posted by 華氏 at 00:15Comments(0)琉球舞踊

2010年07月05日

三津武嶽(ミチンダキ)

 沖縄では、王朝時代に王族の王女らが就いた神女組織が実在していましたが
その頂点にたった「聞得大君(チフィジン)」は絶大な宗教的権威をもって、
王や国家を支えてきました。

 王朝時代で君臨し続けてきた聞得大君の中で、一人の聞得大君に纏わる逸話があります。



 「聞得大君(王女)が聖地・久高島参詣を途次、強い逆風に遭い薩摩の国(鹿児島県)に
漂流し、一命をとりとめることがきできました。

 後になって馬天祝女(バテンノロ)、大城祝女(オオシロノロ)の迎えを受けて
無事に沖縄に帰還することができました。

 しかし王女は、自らの失態を恥じて、首里王府からの招きを快しとせず、
与那原海岸の御殿山で一生を終え、後になって三津武嶽に葬られました。



 これは「遺老伝説」の伝える話ですが、別伝によると、帰還のとき王女は
すでに彼の地で身ごもっており、それを恥じて御殿山で没したとされています。

 「琉球国由来記」には「友盛ノ嶽御イベ」と記されており、「琉球国旧記」には
「友盛嶽」として、その由来が記されています。



 なお、この三津武嶽は子宝の神として尊ばれ、与那原町字与原部落では子どもが
生まれると、3歳まで旧暦の9月9日のクガニの御願に赤ウフグを供えていたそうです。



 以来、こどもの守り神として他市町村からも子宝を望む人のお参りが絶えないそうです。








 御殿山で一生を終えた聞得大君が、死後葬られたとされる場所で、運玉森の中腹
ゴルフ場の境界を示す金網の張りめぐらされた場所にあります。  


Posted by 華氏 at 10:58Comments(0)逸話

2010年06月18日

加那よう天川

 明治期後半に創作された雑踊りの一曲で、若い男女のほとばしる愛情表現を
動きの激しい振りで見せる芝居芸の最高傑作です。

 今日の形に整ったのは、大正期になってからといわれています。

 創作当初から「早天川」「打組天川」「島尻天川」などと呼ばれて
親しまれています。

 歴代の名優たちが競って個性芸を見せた演目の一つです。

 山内盛彬著「琉球の舞踊と護身舞踊」の中で、「作者は、芝居時代になって
伊良波尹吉と首里まちゃーとの合作で、後に渡嘉敷優・屋部四つ竹仁王等が改良した。
 登場人物は初め三人のコミック芸であったが、五人となり、終に二人天川となった。
云々」とのべております。

加那よう天川 「飛輪の舞」より


歌意
1、愛しい人の面影が立ったら家にじっとしておれない。
  さあ、連れだって出かけて遊んで忘れよう。

2、貫木屋の離れ小屋で手巾を織って、私が思いを寄せているあの人に
  愛情の印としてあげよう。

3、愛情の印としてあげるくらいならば、手巾ほどのものをあげてどうするんですか。
  どうせあげるのでしたら腰を締め上げるミンサー帯をあげよう。

4、愛しいあの人の事は、遊んでいても忘れられない、踊っていても忘れられない。
  思いはますますつのるばかりです。  


Posted by 華氏 at 09:08Comments(0)琉球舞踊

2010年06月09日

沖縄タイムス伝統芸能選考会!!

 沖縄タイムス伝統芸能選考会の真っ只中ですが、三線部門の新人部門が
先週終わりまして、見事、当会より9名の方が入賞されました!!

 入賞者の皆様おめでとうございます!!

 その入賞者から宮城愛さんが本日の沖縄タイムスに掲載されておりました!!



 来月の当会の定期総会でお披露目です!!  


Posted by 華氏 at 12:01Comments(0)沖縄タイムス

2010年05月23日

若衆揚口説の手合わせの様子

揚口説

1.げにや都の春の空いずる日影も長閑にて 咲くや桜に梅の花
2.色と匂いに誘われて老いも若きも諸共に 袖をひき連れ立ち出てて
3.花の色々籠に入れここやかしこに行きめぐり 長き春日のくるるまで
4.帰る家路をうち忘れ花をかざして舞い遊ぶ 春の景色の面白や


 この歌詞はよく大和歌をかりているという人が多い。

 よく見れば全部大和口であります。

 それでも大和歌をかりたことにはなりません。

 これ位の大和口は昔の沖縄の和文学者なら朝めし前にできることです。

 沢山の仲風調を見ればわかります。

 それで歌唱では文字どおりに読めと教えられました。

 しいては沖縄口に直すことをしないようにして耳当りをよくして歌うことが肝要です。


                                 宮城嗣周著「嗣周・歌まくら」より

 
  


Posted by 華氏 at 17:39Comments(0)稽古日

2010年05月20日

高平良万歳の手合わせの様子

久々の掲載です!!

ほぼ毎日稽古です!! 先日は5月30日に行われます
沖縄新進芸能家協会主催の定期公演、演目「高平良万歳」の手合わせでした!!

公演は国立劇場おきなわにて昼の部、夜の部の2回公演となっております!!



高平良万歳で、「慶伊(チー)」が島であるのか、干瀬であるのか、また
慶良間島のどのあたりに位置しているのか、知らなかったので、調べてみました。。。

慶伊島は、現在は「慶伊瀬島(ケイセシマ)」と呼ばれていて、沖縄の方言で
チービシと呼ばれています。

位置は本島と渡嘉敷島の間で、神山島、クエク島、ナカンヌ島を総称した名称が
「慶伊(チー)」と呼ばれています。


慶伊瀬島に関する情報←(クリック)  


Posted by 華氏 at 13:56Comments(0)稽古日

2010年05月05日

女笠踊り

 古典女踊りの一曲です。この踊りは、以前「花見踊り」ともいわれています。

 春の花にことよせて、恋に身をやく娘心を表現した歌詞で踊ります。

 花笠と手に持つ杖が、娘心を象徴し、小道具の効果がそれとなく現われている
女踊りです。

 全体は三曲構成で、第一曲は本嘉手久節、第二曲は出砂節(いでしなぶし)、
第三曲は揚高弥久(あぎたかにく)節です。


第19回琉球音楽演奏会(昭和59年6月3日/沖縄タイムス3階ホール)


本嘉手久節
「深山うぐひすの節や忘れらぬ 梅の匂しのでほけるしほらしや」

出砂節
「笠に散りとまる春の花心 袖に思とまれ里がお肝」

揚高弥久節
「春に浮かされて花のもとしので 袖に匂移ち戻るうれしや」  


Posted by 華氏 at 18:53Comments(0)琉球舞踊

2010年05月02日

2010年度沖縄タイムス芸術選考会に向けて・・・

 今年も、芸術選考会に向けて稽古、稽古の日々が続いております!!

 各教室で稽古を重ねてきた成果を、先生方の前で試験さながらの雰囲気で
独唱を行います。

 見ていても、こっちまで緊張します!!







 先生方の細かい修正を受けながら、5月いっぱい続きます!!
 受験者の皆さん、頑張ってください!!



 沖縄タイムス芸術選考会、新人部門の課題曲は「伊野波節」です!!

 宮城嗣周著「嗣周・歌まくら」より

 選考会(以前)での歌詞は歌い易さを考慮して、垣花朝完の詠まれた
 「花や咲きすれて黄葉になるまでも 変わるなよ互にもとの心」となっています。

 歌意は、老人になるまでも初めて愛し合った元の心でいてくださいという、なんと
瑞々しい愛情でしょう。

 読人垣花朝完は、その人に関する経歴は誰も知らず、またこれほどの名歌に兄弟歌も
なく、たったこの一首だけを詠まれた人はどういう人なのか、と調べてみましたが
今のところ、その人の家系を見出した段階であります。

 尚清王第七子朝義を大宗として六世伊江王子朝良の次男であります。

 五世朝嘉に嗣子がなく、三男の垣花親方朝理の子・朝良が養子として後を継ぎ
伊江王子朝良と名乗りました。

 その次男なれば祖父の姓を継いで垣花親方となったものと思考されます。


第19回琉球音楽演奏会(昭和59年6月3日)


 伊江家(向氏)は王女を嫁にした人が二人いて、王子号を授与されました。

 また、尚灝王の四男が婿入りして、やはり王子で、摂政となっています。

 同家から四人が三司官に就き、始祖から廃藩置県に至るまで御殿の家格を保った
代々政治家の家系です。

 伊江家に関する記事 → 琉球新報2008年11月22日の記事(クリック)   


Posted by 華氏 at 11:03Comments(0)稽古日

2010年04月25日

平敷節

「源河走川や潮か湯か水か 源河めやらべたがおすでどころ」




 源河の里は、今は国道58号線の所にありますが、昔は源河川の上流にあって川をはさんで
向かいは平敷の里と一部落でした。

 それで、この節名は平敷節といい、別名は源河節ともいうのです。

 源河走川は羽地村字源河を流れる川のことです。

 沖縄では井戸にもカーというので流れるカーのことを走川というのです。

 白瀬走川などもその例です。

 

 夏の昼下がりに、通行人がこの流れの所で娘たちの水浴びをしているところに出会いました。

 その裸を見てびっくりしてこんなことがあったよと人に語りかけるように息をはずませた語調が
上句のたたみかけた言葉です。

 うしゅかゆかみずかと区切りの「か」が三つも続けて飛び出したおもしろい表現です。

 ここは昔からいろいろいわれていたところで、潮、湯、水と解釈した場合もありましたが、
慎み深い沖縄の人は裸を人に見せることは全然ありませんから偶然にも見てしまった人の驚き、
胸の動機の激しさは、うしゅかゆか水かとどもりにいう言葉によくわかります。

 これを冷静に潮かね、湯かね、水かねとお静かな言い方をしてしまうと何か白々しく聞こえませんか。






 下句のおすでどころとは、水浴びしている所という意味で、水浴場という意味ではありません。

 この歌の中では、人に見られていることに気づいた娘たちがワッと水中から飛び出して逃げる様子が
想像できます。

 (後記載省略)

                                             宮城嗣周著「嗣周・歌まくら」より

  


Posted by 華氏 at 23:02Comments(0)歌碑

2010年04月18日

かぎやで風

 先日、かぎやで風で、ゆかりのある国頭村奥間(奥間鍛冶屋)に行って
来ました!!

 去年も、今年も歌碑めぐりとしてお邪魔しました!!






 以前に「カギヤデ風」にまつわるお話を掲載しましたが、その続きはというと・・・

 「ところで、この歌(かぎやで風)の由来にチーグ王(尚元)を持ち出す人がいます。

 尚元と弟尚艦心の王位争いのとき、三司官の国頭親方、城間親方の二人が、王弟を擁して大新城一人が
先王の遺勅を守って、尚元を擁して争ったのでした。

 そこで尚元が言葉を発するなら王として推戴するとういうことになりました。

 大新城は「サリ一言」とせまり、申されなければ切腹すると死を決してせまれば「マテ新城」と一言申された
ので王座につかせられたのでした。

 その祝いに新城が「今日のほこらしゃや」と歌ったといいます。

 これは明治の名優渡嘉敷守良の作劇で芝居としては筋の良いし見せ場もあって名劇といえますが、聴覚
障害者は聞こえないから言葉も出せないのですから、この物語を「かぎやで風」の由来として用いることは
できません。

 (後記載省略)

                                               宮城嗣周著「嗣周歌まくら」より

かぎやで風 歌・三線/琉球古典音楽野村流松村統絃会 箏/あやめ会(宮城嗣周門下生)
第18回定期公演(昭和58年)
  


Posted by 華氏 at 22:58Comments(1)上巻